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真理の探究は確かに冒険であり、抹殺される危険と隣り合わせでしょう。従って真理探究を恐怖に駆られて止めるのではなく、問題はその表現、表明などの時期、場所、言い回しなどに注意することでしょう。それを真底から自覚しない者は単なる阿呆で愚か者でしょう。多くの政治家は場所やタイミングを省みずに、真実と思われる言動でも、時と場所をわきまえないで暴言に受け止められたりして行くのも、実に、表明手段や方法に問題があると言えるでしょう。
某政治家のように思ったことを直ぐ口にするのは、権謀術策が渦巻く政界を裏を知って逆に裏を掻くようにして謀略の中を泳いでいく政治家としては幼稚であり、失格でありましょう。時にはウソ、方便で敵の謀略を臨機応変に見抜くことも必須でしょう。真理探究には、相手の陰謀や謀略、欺罔、詐欺、虚構を見破ることも含まれます。その真理探究に際しての自己防衛の責務すら放棄し逃避するようでは、最早、従順な家畜の群と変わりはなく、生きていく意味もないでしょう。
即ち、最初から真理の探究を放棄し無視していくのは、無関心、無感動、無気力であり、結果的には家畜的人間、奴隷根性、長いものに巻かれろの他力本願、腰抜け、腑抜けになるのは必定でしょう。人生の目的は矢張り、真実一路に生き、真理探究において勝負する時期や場所では、勝負するという心構えが大切でしょう。臥薪嘗胆、捲土重来と言う言葉があることを思い起こすべきでしょう。正義、大義、信義、道義にこそ生きるべきで、これがないと人生も無為、徒労、堕落、空虚になり、生き甲斐も生きる意味も意義も無くなるでしょう。例え長生きしても何のために長生きしたかも解らなくなるでしょう。
要は真実を知って知らない振りをする、能ある鷹は爪を隠す、賢ければ惚けろ、こういった高等戦略が必至でしょう。敵を油断させ、味方までをも欺き、時期至りなば一挙に勝負に出る、そのための真理探究であるのです。真理を探究したら直ぐに公開し吐露し書いたり口にするような者は、単なる浅薄、軽率、軽挙、妄動、阿呆でしかありません。そう言う意味からも、真理探究と、その言動とは大きく異なるものであって、最初から真理探究に恐れを抱いて後込みし否定し排除していくのでは、それだけで敗北主義でしょう。
真理探究を否定するなら、それを 肝に 命じろ!!
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