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写「世界劫毀與中国人」稿畢心中好疲憊難受、記起前人説的、我瞻四方、蹙蹙靡列騁
この「世界劫毀與中国人」を書き終へると、心は満足して居るが、しかし、疲れ果てた。
この心境を日本語に翻訳すると、「八方ふさがり」
このあと、
「天と人との際」が、昭和五十五年(一九八〇年)十月、出版され、「今日何日分」は、台湾で、胡蘭成逝去の年、民国七十年(一九八一年)に出版されて居る。
胡蘭成先生は、中国人であるが、中国大陸は、中国式表現では、「偽朝」たる中国共産党の支配下に在り、そして、胡先生は、中国政権によって日本に協力した「漢好(売国奴)として追求されて居る。
台湾の国民党政権も、同じく、旺兆銘政権の要人、胡蘭成を漢好とした。
一九七二年、日本が台湾の中華民国と断交して北京の中共政権と国交回復すると、蒋介石国民党政権は、「反共」で一致できるなら、旺兆銘政権関係者との一定の協働関係は可能であるとの方針を打ち出し、その結果、一九七四年、胡蘭成は台湾の中華文化学院大学の教授として招聘されるが、忽ち、旺兆銘の一味漢好として国民党陣管によって迫害されて、一九七六年には台湾を迫はれて日本に帰らなければならない。
日本では、何冊かの著作を出す機会を與へられ、講演もたまにするが、二、三の人を除き、日本人は胡先生の説を右から左に聞き流すだけ。
しかし、幸にして、一九七四年から七六年までの三年間、台湾滞在中に、胡蘭成先生は、朱西寧一家と言ふ、熱烈な支持理解者を得て、台湾に、「三三学社」と言ふ、ひとつの思想的運動の成立を見ることが出来た。
胡蘭成先生逝去のあと、この三三学社も解散するが、しかし、朱三姉妹は胡老師の教えを、何等かの程度で維持する貴重な努力は続けているやうである。
かくして今、我々日本民族有志は、胡蘭成思想を発見し、それを学び、それを該発展させて行くための足がかり、手がかり、糸口は得ることが出来たのである。
平成十五年十二月十一日記
- 太田 龍
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