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ところで、2千500年前に如来となられた釈尊にしろ、現代の聖心仏陀先生にしろ、また平安時代初頭において、即身成仏こそ成らなかったと思われるが、死後は協力し付き従ってきた多くの眷属達により菩薩界にまで引きあげられて菩薩にまで昇天された弘法大師と言い、これら偉大な心魂を達成し輪廻転生を超越された方々は、最早二度とこの世に降誕されることもないように思われる。
これは真の神仏がこの世には存在せず、またこの世に降誕することもなく、ただ輪廻転生の世界、即ち、大自然界、更には肉体精神や心霊が徘徊し漂流し浮浪する現在社会を超越した宙天の神聖で清浄な波動エネルギー粒子が充満する仏界、神界、菩薩界の玉座に鎮座されておられるように思われる。なお、参考までに言えば、この世に徘徊し浮浪し、人間と対話し命令し、姿形を現したりして、様々な幻覚、幻聴、幻視の魔法、魔術、魔力を及ぼして、神仏と誤解させ錯覚させているものこそ、畜生死霊魂になる魔神、魔仏であろうと思われる。
ところで2500年前の釈尊に至っては、既に生存中に残された痕跡すらなく、今では半ば伝説化し、不謹慎な者に至ってはその生存の事実すら抹消しかねない有様だ。如来とか悟覚とか、仏陀とかの崇高な偉業に対しても理解の限度を大きく超えて、普通一般の識者、哲学者、思想家ぐらいにしか把握できていないようだ。人間を超越した存在が如何なるものかが全く認識できず、理解も不可能であるようだ。
今回、当方が深山幽谷の地で偶然ながらも不思議な機縁で知り合った聖心仏陀先生に関しては、既に亡くなられたとは言え、その痕跡は書かれた物から写真などを始め無数に存在し、そこには現世において、身命を賭して肉体を解脱・離脱した魂の大宇宙への跳然により、宙天から即座・瞬時に把握し授持された崇高で神聖な大宇宙・宙天の真の神仏による波動が充満していると言えよう。
例え、聖心仏陀先生の肉体が滅して魂が昇天されても、その崇高で神聖な御霊が先生が行脚された地を始め幾多の今世の場所に残留し、その残された様々な書籍や手紙、写真の物にも、コピーであってもそのまま残留されているようだ。但し、心が通じていない者が保持していても単なる紙切れに過ぎないものだ。先生も生存中に「君が僕の書いた物を僕のため、日本や世界のために活用するならば問題はないが、僕に心が通じていない他人が、悪意で利用するならば、御理益がないばかりか、逆に不埒な心魂に対して天罰が下るであろう」と申されていた。
従って、生存中に聖心先生が、「例え、僕が死んでも僕の霊が君に教える」と言われたのも、実に今になって思い起こすには、、先生と心が通じる限り、この世に残留されている先生の霊が、そしてそれに付き従って協力している数万の眷属達が、知らずの内に教え諭し味方し応援し支援して下さるというものであろう。先生の書かれた物が永遠に残留し大切に保管され伝承され保存されて行く限り、宙天の神聖な波動がこの地上に充満し浸透し拡散し伝搬して、邪悪で猜疑な想念波動の一掃・淘汰が成されて行くであろう。
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