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↓3.傍観・静観・達観・楽観の高みの見物で暫時休息

 投稿者:不動明王  投稿日:2003年 2月 5日(水)01時14分3秒
   当方は教育にも企業活動にもまた社会全体にも、自由闊達な精神を涵養する意味で、個人の尊重と家庭や社会や権力との調和から、自由・放任と管理・遵守の調和が何よりも大切と思っており、その辺の具体的実践が大変に創造的で独創的で難しいものと言えるでしょう。新しい時代に向けての改革は、極めて総合的に調和が取れて、対立概念を融合して実践して行かねばなりません。一部を重視したり、本質から偏り外れたものでは遠からず破綻することでしょう。

 何よりも自力心により、自らの心魂の錬磨・浄化、向上が必要であり、その後に社会への還元・調和が大切となってくることでしょう。決して自分自身だけの悟覚では真の実践とは言えないでしょう。また自己救済もできていない内に、迷妄と欲望、売名の中で実践するところに、心は夜叉となり、地獄へと直行することに至るでしょう。真理の追求・探求と、その実践は全く別の次元の課題であり、古来、多くの宗教家も誤ってきたことが多いと言えるでしょう。なお、自力心とは孤立・孤独ではなく、敢えて言えば孤高とでも言うのでしょうか。神々しい魂の発現でもありましょう。
  
 ところで現在、色んな改革が喧伝されておりますが、殆どが抽象的でスローガンだけであり、その具体的施策に至っては、中庸、中道の本旨に乗っ取った正しい方向を示しているものは非常に少ないのではないかと思っております。中には全く両極端に対立しているものも非常に多くあるようです。例えば、教育にしても、ゆとり教育と競争教育とが対立し、ボランテイア教育にしても、肯定派と否定派が対立し、経済、政治、社会のあらゆる課題がこのように、両極端に分裂して対立化しております。そして新たな教育改革にしても、最も前進的な方向でも、単なる郷愁の念に駆られた旧制高校のエリート教育の復活ぐらいしか思い浮かばないようです。真の創造教育の在り方、参加するのが楽しい教育に関しては、全くの迷走状態と言っても良いでしょう。

 真実一路の新しい時代に向けては、微妙なさじ加減や修正が大きく左右し、塩加減を間違えると料理の味も大変不味くなるのと同様に、非常に難しいものです。今年はゆっくりと、方向や施策のきめ細かい詰めを思考していきたいと思っております。換言すれば、大動乱後の敗戦処理に当たって、新しい時代の具体的設計図を真剣に検討していく段階に来たようです。資本主義体制の崩壊、米国や中国の破綻も間近いもので、一気に世界は流動化していくことでしょう。当方の改革も次第に現実味を帯びてくることでしょう。

 何しろ、数千年来の大改革を真剣に本気で身命を賭して考え実践しようとしているのですから、ある意味では、忠臣蔵の大石蔵之助以上の一世一代の大胆さと用意周到さが必要でしょう。こうした当方の目的や意志、行動に対して多大なる評価をしていただいておられる影法師様には心より敬意を払い感謝致す次第です。当方のHPの浸透・伝搬を通じて、何かしら世界の微妙な空気、流れ、雰囲気の変化に一早く気付かれようとされておられる影法師様には、今後の歴史の生き証人として注意深く記憶に留め置かれることを祈念するものです。
 

↓2.傍観・静観・達観・楽観の高みの見物で暫時休息

 投稿者:不動明王  投稿日:2003年 2月 5日(水)01時13分7秒
   HP提供の真の狙いも、何も現在の同調者や協力者を得るためでもなく、遠い将来に向けた布石のためであります。例え、社会が大混乱化してきても、恐らく、2004,5年頃の国家破産、2005年頃の世界大恐慌が到来して来るものと思われますが、仮に、改革への機会・チャンス・誘いがあっても決して、のこのこと変な野心を有して売名的、利欲的に権力闘争などに参加すべきではないものと思っております。大方は責任転嫁の打算的利用でしかないものでしょう。

 新しい時代に向けた改革には、既存のシステムの崩壊が必要であり、また人々の意識の変革が必須であり、更には国内外に向けてあらゆる改革を広範多岐に亘って総合的に一気に実行するためには、天下分け目の大掃除の関ヶ原が必要であり、その為には全世界を巻き込んでいくような大動乱の到来と、全世界の崩壊・破綻が必至と言えるでしょう。当方の思考する改革の前提としての大崩壊、大解体は当方が仕掛けなくても、不思議と周囲が対立、仲間割れ、混乱し、衰滅、衰退に陥っていくのをじっと待つだけです。全ては御推察のように、IT革命によって波動・電磁波が伝搬し、100倍もの猛スピードで一気に歴史的諸改革が達成されていくことでしょう。

 今時の改革は何も取り立てて特別の才能や組織は必要はなく、ただ宙天の真の神仏と心が一つになった中庸、中道の精神と心があれば達成できるものでしょう。何故なら、次第に両極端同士が対立して相争い、衰滅化していく中で、真実、本物が浮上していくことでしょう。これは国内外を問わず、全世界のあらゆるところで現れてくることでしょう。例えば、対イラク戦争にしても世界や国内が真っ二つに分裂していることでも解るでしょう。正に真の神仏による波動が全世界に充満しつつあると言えるでしょう。多くの人々の知らずの内に、改革に向けて大きくゆっくりと進展していくことでしょう。従って、何もしなくても、真の神仏と心を一体となっていけば、天が味方して邪悪な想念を一掃して、その後に新しい時代の改革の状況が到来してくることでしょう。

 実にここにこそ、高みの見物を決め込んでの面白い歴史的大観劇が見られるものです。改革には国民全体の意志・心が一つになって国民総決起で実践すべきものであります。決して一人で達成できるものではなく、ましてや抵抗分子、反乱分子、背任・裏切り分子、もっと言えば、似非愛国者や売国奴、亡国の輩、非国の民の群雄割拠、蔓延、氾濫している中で実現できるものではありません。当方の主催するHPも次第に広く深く浸透していくことでしょう。既に、2005年を目途に国家破産、大恐慌等の到来を予測する書物を多く登場してきましたし、混乱が益々助長されてきました。正に戦国時代の到来であり、真の正しい健全な想念が伝搬し浸透して行っているものでしょう。

 ところで、ご指摘のように、教育や自力心の涵養・醸成・育成などの実践は非常に困難であります。ある程度、精神的自由な状況の中で、自分自身で獲得し、または誘導させていくしかなく、決してマニュアル化できるものではありません。囚われない心が何よりも大切であり、宗教でも組織化して行くところに、その教義・教則・規則に拘束されて囚われて行くことになり、心の解放どころが大きく負担、重荷、束縛になっていき、結果的には迷妄・拘泥・捕囚の地獄へと追いやっていくことになります。現在の宗教の誤りは規則、教義、階級などに囚われているところにあると言えるでしょう。規則、教義、階級は、方向性や指針、規範を示すためにもある程度は必要だとしても、問題はその姿形に囚われないことです。これは教育の世界でも言えましょう。
 

↓1.傍観・静観・達観・楽観の高みの見物で暫時休息 

 投稿者:不動明王  投稿日:2003年 2月 5日(水)01時12分24秒
   影法師様、お久しぶりです。題字に当方が提唱する「真仰」と言う新しい概念としての語句が掲示されたのには、HPを良く読まれておられると言うことで大変驚きを感じると同時に心より敬意を払い感謝する想いです。宗教を始め、日々の生活実践の極意の真実は、死霊魂の正しい慰謝と供養を兼ねて、真の感謝の対象を誤らない自己の魂の浄化・発現であるところの、実にこの「真仰」であるべきでしょう。ところが現実は、現世御利益で他力本願の「信心」か、感謝すれども真の対象を誤った「信仰」でしかありません。これでは正しい想念が宙天に届いて広く社会全体に浸透・伝搬して人々の意識・想念を浄化・向上して、邪悪な想念を一掃し断絶することは出来ません。

 さてご進言のように今年はゆっくりと静観し、ある意味で余りにも早く時代を駆け足で進みすぎた嫌いもある故に、高みの見物を決め込んでいく決意をしました。これは既に掲示板でも意思表明しております。また、「鳴くまで待とうホトトギス」の心境で、「慌てず、焦らず、争わず」の姿勢であるのは、当初からHPの某所でも見解を述べており、決して性急・絶望・怠惰・自暴自棄に陥っていくものではありません。勿論、掲示板に対する対処は従来と変わりはありません。当方にとっても弱点部分を整理し、周囲の反応が解り、そして新たな問題点が把握できるからです。

 ところで、「張り詰めた糸は切れやすい」ことは十分に承知しております。体力や精神力の涵養、鍛錬も充分に考慮して日々の生活を実践しております。文武両道が大切であることもよく理解しております。ところで、HPの内容も次第に飽和に達しつつあり、また掲示板の管理に、余りにも非難攻撃、誹謗中傷を警戒したが為に意を注ぎすぎた嫌いがありましたが、今や、枯れ木も瓦礫も山の賑わいで、勝手自由に何でもどうぞの心境であり、多くの方が自由に議論し誘導して自ら主導していった方が好ましいとさえ思っております。

 今後の大激動の時代を展望した場合、真の改革を志向する者にとっては明るい未来が見え、今年から暫くは傍観、静観、達観、楽観の心境に至っております。所詮は、真理の探究とその実践とは全く別の課題であろうと言うことでしょう。ある程度、真理探求の下に現状分析をし、そして解決策を模索し展望し尽くしてきた現段階においては、その実践は、極めて慎重に、「急いてはことを仕損じる」の格言を守って行くことの大切さを痛感しております。健康のご忠告は大変よく理解でき、パソコンに長時間向かっていると、航空機に長時間ひざを曲げて乗っているときのエコノミー症候群のように、硬直化した姿勢が血液の循環を悪化させるそうですね。なお当方は健康には人一倍留意しているつもりです。

 さて、真の改革は、最終的には人々の意識の変革が併行して達成されなければなりません。現在は、直接の危機にも巻き込まれていなくてその危機感が乏しい政治家や官僚、学者やマスコミなどの連中が政策や改革を推奨し喧伝し実施しており、また国民の大方にも貧富が拡大して富裕層・指導層には大した危機感もなく、現実に満足し、先が全く読めない中を迷走・迷妄の状況であり、こういう環境・状況下では何をやっても無駄であります。ただ崩壊・破綻・意識変化をじっくりと待つばかりです。
 

真仰と想念管理

 投稿者:影法師  投稿日:2003年 2月 2日(日)23時19分15秒
  不動明王殿 お久しぶりです。
事物の観察・考察には真実を志向し、また己の煩悩調節には真理に気骨を合わせるこ
とで発作的な感情の暴走や徒労リスクを少なくするという考えは、常々もっています。
ところで、真理を探求し真理に心を合わせて、煩悩からの開放、あるいは特定条件下の
発作的な感情の暴走を抑制する事を志すというのは正しい行為として認識されましょう。

しかしながら、自らの想念管理に日々実践するという点においては、マニュアル的な作
法や教義によって組織化し一人一人の異なる想念管理の共有化が果たして可能なのか?
宗教の組織化による根本的な問題は実はこの辺にあるだろうと思いますね。

自らの想念を内観し、時には苦難・苦痛に脂汗を流しながら向き合いつつ、試行錯誤
しながら、心の安寧に向けて効果的に想念管理する手法を、真理との一体感覚(真仰)
で自ら身に付けていくしかありません。教祖から癒しの木の実をもらおうという甘え
では何も解決しません。

ただし、体力向上にも段階的鍛錬が必要であり、また心にも段階的な鍛錬が必要でしょう。
幼児には愛情を注ぎ甘えさせ、物心つく頃には感謝の気持ちを育ませ、依存と自立との葛藤
利己と利他の矛盾と葛藤、愛他精神の醸成、天与の大事な命の自覚と、時にはその大事な命
を捨てる覚悟で守護しないといけないものを持つことなど、心身の成長・老熟に向けて学び
体得しないといけないものがある。
自立心とは精神の孤立とは全く異なる。また、生まれた瞬間から死や苦痛の宿命を負うし、
誰もが苦悩から開放されたいし、嫌の事に脂汗が出ないほど平然と出来る人間はいないだ
ろうし心細いものだ。肉体もどんなに鍛錬しても栄枯盛衰する。このように人間の弱さを自
覚しながら自らの問題はあくまで自ら決着する気概を持ち、人にやさしく、情けに熱い人間に
なりたいものです。
それを自覚している大人が、自らの想念管理と同時に他者にも心の伝達をしたいものです。

貴殿のホームページを見ていると、インターネットはたった一人の本心からの本物の活字から、
類似の心理体験や価値観をもつ無数の人間に無限連鎖する絶好の手段となっているようです。
ただし、張り切り過ぎてずっとパソコンに張り付くのは心身ともによいとも思いませんので、
時には、しばらく静観・休息することが大事ではないでしょうか。
 

↓3.数千年来の誤解、偏見と誤謬からの脱却が必至

 投稿者:不動明王  投稿日:2003年 2月 5日(水)01時02分14秒
   なお、釈尊が悟られた最大の教えとは何ものにも囚われない心の大切さであったものと思われます。従って、初詣、彼岸会、盂蘭盆会  お布施、仏像などに関しても、それ自体が間違っているのではなく、それに囚われる心がいけないものと思います。正に意識の問題であろうかと思われます。然るに単なる形式とは言え、その形や姿に心が現れることも真実であります。打算や利欲、売名、各種意識などの心は気付かぬ内に自らの姿形に現れるものであります。崇拝する対象にしても、偶像崇拝がいけないのではなく、その対象を一体何と意識するかが大切なのであり、意識する対象が真の神仏であるならば、姿形は鰯の頭でもビール瓶でも仏像でも何でも良いのだと思われます。

 「魚肉・獣肉(を食わないこと)も、断食も、裸体も、剃髪も、結髪も、塵垢にまみえることも、粗い鹿の皮(を着ること)も、火神への献供につとめることも、あるいはまた世の中でなされるような、不死を得るための苦行も、ヴェーダの呪文(マントラ)も、供犠も、祭祀も、季節の荒行も、それらは、疑念を超えていなければ、その人を清めることができない。」とのことですが、これは目的意識や打算や利欲の囚われた心を有して実践することがいけないことを諭したものと思われます。なお、囚われない心が大切とは言っても、これこそ大変に実践が困難であり、大抵の者は囚われた心を有するが為に、ある程度の心の規制の誘導が必要であるのも真理だと思います。

 釈尊も悟覚されてから里に下りられて、里の娘が差し出した牛乳を何の抵抗もなく飲み干したことで、初めて釈尊は真底から実践を通じて悟ったものと言えるでしょう。肉食や魚食がいけないとか、妻帯がいけないとか言うのではなく、それに囚われる心がいけないのであるということを悟られていったものでしょう。さりとて、囚われない心が大切とは簡単に言うけれど、これこそ誠に解釈・実践が困難であるものでしょう。

 なお、現世御利益や霊力(魔力、魔法)を追い求める宗教は、正に邪道であり邪教そのものに他なりません。当方が目指す宗教改革は実にその中味の改訂であり、邪悪な想念の一掃であり、具体的には現世御利益や霊力信奉の魔と感応道交し交流し、魔に通じるもの一切の封印であります。世界中の宗教自体を全面的に否定し排除するような、無神論者や唯物論者のようなものではなく、その在り方を根本的に改訂することを目指すものです。

 宗教改革に際しては無視論者や唯物論者の意識の改訂の成されていくか、邪悪な想念として一掃されていくことでしょう。これまでのルターなどの歴史的な宗教改革を見ても、従来の教会の権力機構に挑戦したことでは評価できるものですが、宗教の本質を付いた正しい改革を志向ものではなく、ユダヤ的金儲けを合法化するためのものでしかなかったように思われます。事実ユダヤ教などは来世を否定し、実質は金銭崇拝を合理化した現世御利益宗教の賜と言えるでしょう。今時の改革は従来全く見られなかった新しい視点で実行されるものでしょう。

 今時の歴史的総決算に向けての宗教改革に当たっては、輪廻転生を超越した真の神仏の存在を認め、輪廻転生の摂理、法則を認め、その上で、知覚・聴覚・視覚する神仏が魔の畜生死霊魂に他ならないことを再認識し、また何の対象に向かって真に仰ぎ詣拝するのか、その際の心の在り方、崇拝の仕方を根底から再検討し、更に、死霊魂に対する正しい慰謝と供養の在り方、即ち正しい信仰である「真仰」の国民総決起による実践が確立、推進が必至となっていくものと確信するものです。正に、今世の世界的・宇宙的な大崩壊を回避し救済する第一義のものこそ、国民総決起になる真仰の実践に他ならないものと言えるでしょう。何故なら、今世と霊界とは紙一重の表裏一体であり、幾多の現世の混乱・波乱・動乱は死霊魂の苦怨の反映に他ならないものと思われるからです。
 

↓2.数千年来の誤解、偏見と誤謬からの脱却が必至

 投稿者:不動明王  投稿日:2003年 2月 5日(水)01時02分35秒
   真の神仏が輪廻転生を超越した領域にこそ鎮座されるとすれば、正にその下位の輪廻転生界こそが人間と対話し、姿形を現したり、様々な現象(幻象)を提示するものこそ魔の神仏と言えるでしょうか。古来、多くの宗教家が対面したり、対話したり、交流して来た神なるものの実態は、輪廻転生する過程での畜生死霊魂であろうと思われます。勿論、畜生死霊魂と雖も、その魂の向上、錬磨、浄化により、人間以上の神々しい存在に振る舞うことは十分予想されるものであり、決して無視したり軽視していくものではありません。ただ帰依したり依頼したり願望を伝えたりするものではいけないということで、感謝の対象として行けば何も祟りや罰を受けないと言うことでしょう。

 モーゼがシナイ山で対面した神や、キリストが天啓を受けたと言われる神や、ジャンヌダルクが受けた神の意志というものや、ノストラダムスが授持した神からの様々なメッセージや、日蓮が受けた様々な予言なども、全ては魔の神からの天啓、指令、メッセージ、シグナル、サインであったものと思われます。そうした神に交流していった者には必ずや最後は残酷で苦難の祟りや罰が待っているものと言えるでしょう。勿論、魔の神仏と雖も、正しい心であるならば、ある程度は真実を教え導いてくれるものですが、それも願望や欲望、打算の心には、悪魔が招来するもので、ひたすら自力で頑張るところには善魔が協力すると言うことであろうと思われます。これは善運と悪運にも関係いたします。

 ところで、輪廻転生を超越した宙天の真の神仏への扉が開帳されて初めて入場を許された方こそが釈尊であろうと思われます。これは身命を賭した無私なる吾の心にて、何の目的意識や打算もなく、ただ清浄で神聖な心魂にて、自分の体内奥深くに鎮座する真の神仏と、宙天の玉座に鎮座される真の神仏との、一瞬の直結にて至達するものと思われます。正に肉体から魂が離脱して一瞬にして、宙天に到達し、再度、肉体に帰郷してくるものであろうと思われ、これを称して、古来、「如来(来るが如し)」と伝承されてきたものでしょう。この深厳な体験無くして得られるものは、輪廻転生会に浮遊し徘徊し浮浪する魔の神であろうと思われます。

 魔の神から得られるものを魔力としたら、真の神仏から得られるものは真力であろうと思われ、その相違は、実に、魔力こそは、「神が言った、姿形が見えた、聞こえた」などというたいけんを伴うものであり、また人々の邪悪な想念の充満する中でも実行できるものであると思われます。真力は、邪悪な想念の前では成し遂げられないはずであろうと思われます。ただ、釈尊は悟覚された後には、それ以上の修行をされることはなく、ただ説法で教え伝えられていったものと思われます。釈尊が悟覚された瞬間は、何とも表現できない心身の軽さや奥ゆかしい意識であったろうと思われます。一体これをどうして理解できるであろうかと思われたに相違ないものと感じます。

 正に宙天に入場を許されら方には輪廻転生からも離脱され、前世、現世、来世に亘る広大無辺の仏知恵を授持されていくものと思われます。万一、釈尊が眼前におられれば、その神々しい心魂の波動により、攻撃、中傷、嫌悪の感情を向けられていく時には、その自らの邪悪な想念が堅固な被膜に遮られて自分自身に跳ね返されて行くものと思われます。魔の力を有する者に対しては、魔力行使者の発する邪悪な想念を受けるからであり、真力の場合には、邪悪な想念を発した本人自らが跳ね返されて受けていくものであろうと思われます。

 さて、こうして釈尊が語る伝えた教えも、実に釈尊の死後、500年ほどを経過して現在の仏教教典として完成したものであり、多くは霊感(魔感)や伝承で記載されていったもので、間違っているものも多くあるように思われます。ただ、現在、残存する多くの教典も釈尊は霊魂や来世に関しては何も説法し無かったように言われておりますが、釈尊が語り伝えたとされる各宗教教典は、魂が輪廻転生を繰り返していく際の各時刻における魂の在り方を教え諭していったものと思われます。
 

↓1.数千年来の誤解、偏見、誤謬からの脱却が必至

 投稿者:不動明王  投稿日:2003年 2月 5日(水)01時03分36秒
   大変奥深く宗教に関心を持たれご研究され、現行宗教に多大なる憂慮の念を抱かれておられ、当方も少々の見解の相違があるとは言え、大筋、大同において同憂の至りです。年末の慌ただしい時期、充分なご返答をしないまま、数日間留守にして、多忙な日々を費やしてしまい、御返事に対する御礼と共に、再度、見解を述べさせていただきます。一部はHPでも指摘してありますが、重複の際はご容赦下さい。

 ところで、通常ならば現在の数千年来継続してきた宗教概念は今後とも実に1万年間は継続していくものと思われます。正に伝説上のムー文明が2万6千年前に発祥して1万2千年前に滅亡し、実に1万数千年間も継続したようにです。ところが、2000年に入って以来、大宇宙や大自然昭の波動・空気・流れは大きく転換し、悪魔崇拝宗教の連中が信奉してきた対象のルシファーなる大魔神が天上界に昇天していったように思われます。

 当方も宗教改革なんて言うものは恐らく100年か150年後ぐらいに世の中が行き詰まってきた際に初めて達成されるものと思っておりましたが、ここに来て急激な展開が、霊的にはルシファー消滅と共に、また一般の方に理解されるように言えば、情報革命の急激な進展と共に、従来の10倍から100倍もの猛スピードで時代展開が進展していくからであり、そして超古代文明の存在に関する実証と滅亡の原因が正しく検証されていくからで、当方は、数千年来の宗教の改革は、今後10年後ぐらいに宗教界のスキャンダルが切っ掛けで宗教改革の発端が切り開かれて達成できるものと思っております。

 なお、超古代文明に関しては、次第に英国人グラハム・ハンコック氏が沖縄付近の与那国島やインドや地中海などの世界中の海底から発見し調査し検証している超古代文明の遺跡であり、最後はローマ法王がその文明を存在を認め、更に進んで何故に超古代文明が滅亡したのかを検証し、併せて同時代に存在した日本の縄文文明が何故に滅亡を免れていったのか、こうしたことの検証があされていく過程で、数千年来の宗教改革への狼煙が上がってくるものと思われます。既に、ローマ法王は2000年に入って以来、2000年来の宗教的対立に終止符を打つべき中近東への和解の歴訪に旅立たれたことでも、その背景や意図が理解できることです。

 ユダヤ教やキリスト教やイスラム教の信者の方々が無意識的にも崇拝してきた神は、バチカンなどの神殿の奥の院の霊能力者や神官などが意識して崇拝してきた対象は実に悪魔に他ならないものと思っております。それは人間と対話し命令し教訓を垂れる畜生死霊魂が変化した魔の神仏に他ならないものと思われます。魔の神と言うのは真の神仏では有り得ないと言うことで、魔の神と雖も、ただ感謝さえして行けば何も問題はないもので
、意識の問題でもあるし、その意識の善悪に呼応して善魔や悪魔に変化するものと思われます。

 ところで、真の神仏を理解することは通常の意識では困難であろうと思われることは事実でありますが、この真の神仏こそは輪廻転生を超越した宙天の玉座に鎮座されているものと思われ、大宇宙で費消されるあらゆるエネルギー粒子の生産、湧出、創造を司っておられる存在であり、正に大宇宙の根、源、始であり、因、原、泉、基であり、これを真理として仮定していくことが必至となっていくものと思われます。

 こうした真の神仏は決して地球上に存在したり地球上に降下してきたりするものではないものと思われます。ただ、各人の身体奥深くに胎蔵される心魂こそが、真の神仏であろうかと思われます。それ故に古来、多くの哲学者からも、心は小宇宙であろうと指摘されてきたものと思われます。真理というものは、ある程度、仮定、架空のものとして取り敢えず前提にして行かねばならず、それすらも永遠に疑って掛かれば、永遠の懐疑主義的思考に陥って行かざるを得ず、何時の日にか、真の神仏の概念が抵抗無く受け入れられていく状況・事態が到来するものと思われます。
 

真に有難う御座います。

 投稿者:ゴータマの親友  投稿日:2002年12月27日(金)14時14分34秒
  不動明王さんの待機説法、大変有り難く感謝致しております。
私も実は自力本願を重んずる故に、ゴータマの親友と称しております。真の神は実に人が特定することは出来ないと思う次第であります。
ただ、現在において是ほどまでに無宗教者、唯物論者が増えてきている末法の世、其れを救済する手立ては、他力本願にしても疑念を超えていなければ意味がありません。つまり、御利益信仰で最も我が国で代表的なものは初詣、彼岸会、盂蘭盆会ですね。
無明なる憐れな人々を見ると手を差し伸べたく存じます。
釈尊曰く
「魚肉・獣肉(を食わないこと)も、断食も、裸体も、剃髪も、結髪も、塵垢にまみえることも、粗い鹿の皮(を着ること)も、火神への献供につとめることも、あるいはまた世の中でなされるような、不死を得るための苦行も、ヴェーダの呪文(マントラ)も、供犠も、祭祀も、季節の荒行も、それらは、疑念を超えていなければ、その人を清めることができない。」
(スッタニパータ:中村 元訳 249節)
キリスト教を信仰されている方々、浄土教を信仰されている方々この方々へ私自身一番言いたいことは、御利益信仰では永遠に救われないのですよ!と言いたいのです。また高価な祭壇を用いたり、多額な戒名の売買、多額な御布施、巨大な仏像の存在。
これをみましても、私自身悲しい限りです。仏説摩訶般若波羅蜜多心経にも記されているように。
「この世の物質的存在は、時と共に何もかもが変化し同じ状態が保つことは不可能である。したがって、中身(価値)が無くなる事と同じであり、即ち空の状態と同じなのである。これは、全ての物質的存在の本質なのである。残りの四つの要素についても、事物を感受する心の働き、事物を思い描く心の働き、心の意志的働き、識別・判断する心の働き、もまた、同じ状態が保つことは不可能であり、空の状態と同じなのである。」
漢訳されそのまま経を唱える御利益主義的な大乗仏教は是政に人間の堕落した証拠であり、神の裁きであると思わざるを得ません。
このことが伝わらなかったが故、今世の仏教徒達は仏像を仏の如く拝み自ら妄信を抱くようになった。特定は出来ないが真の神は一体しかないと言う真実は仏教でも明かさなければならないと思うのであります。でなければ、人々は都合の良い神々を作ってしまいます。これは人々を惑わす大罪であると同時に、地獄霊の思う壺になってしまいます。
ユダヤの民がなぜ、キリストを信じなかったかと申しますと、自分達の土地が救われると信じていたからです。魂の救いを知らなかったのです。故に未だユダヤ教徒達は救世主を待ち望んでいる憐れな民なのです。イエスとゴータマは来世ではもう既に出会っている事でしょう。しかし、聖書にはイエスの17年間の事が記されていない。私は思うのである、聖書は確かに神の御言葉、其れを編集したのは神ではない、その事実は誰もが否定できません。ゴータマは如来であり、神に相当する御方であります。それなら、預言者は来世に居られるゴータマの声は聴こえなかったのでしょうか? そんな筈はない、イエスが神の子なら、神(如来)の声は聴こえているのだ。一番肝心な本質的な部分が聖書では隠されているのではないかと思うのです。これは、決して私が疑っているのではなく、私自身がそのように悟りを得たからこの様に断言する次第であります。
最後に私は想うことは、イエスが大慈悲を持つ神であるが故、本質的に自立できない人間を救済する為に降臨されたと想うのです。
かつて日本において、親鸞が阿弥陀如来に救済を求めたのも、日本の地おいて聖霊が親鸞と捉えられたのだと信じたいです。
私達、本質を知りえるものは、大慈悲をもって民衆へ摂受すべきであると想う次第です。今世にて不動明王さん、貴方に出会えた事を幸いに想います。貴方は実に真理を真剣に説かれています。同じ志を持つものとして心から感謝申し上げます。
 

↓.自力の発魂でこそ真の神仏が協力し、他力では自滅あるのみだ。

 投稿者:不動明王  投稿日:2003年 2月 5日(水)01時03分2秒
   ご投稿いただきありがとうございます。
 ところで、真の神は言葉など発しないし、そもそもこの地球上にはおられないし降下してくることもないものと思われます。真の神仏は、ただ宙天の玉座に鎮座されていると思われることは既に指摘していただいた通りです。それ以外の神仏と称されるものは、畜生死霊魂である魔の神仏でしょう。そういう神仏にはただ感謝のみにして行けば何も問題はないのですが、願望や欲望の対象として打算的に利用して行けば、必ずや最後には祟りや罰を喰らって行くでしょう。全ては魔の神仏であるからでしょう。

 なお、神と仏の相違は波動の相違とも言えるものでしょう。神道で言う荒魂(アラブル神)と和魂(ニギタマの神)の両方の神とは、正に神と仏のことであり、波動の相違に他ならないものでありましょう。恰も男女のように、両者とも必要であります。投稿では、父と子が説かれておりますが、母がいなければ、この世は非常に偏ったものになります。即ち、父と母が対等で存在しなければ成りません。これは正に当方が提示する新しい神仏の融合思想にも通じるものでしょう。ところで、 仏に代わる最高の知恵などありません。仏こそが最高の位に鎮座されるものであります。ただ力が神の方がある故に、殆どの方が神ばかりを認識し、仏の概念に思いを致すことが出来ないように思われます。
 
 なお、苦しみを悔い改めるのでは自力でこそ大切であり、他力を唱えて神仏に帰依する仏教の浄土宗やキリスト教では根本的に誤っているものと懸念いたします。もっとも、自力の限界に達した人を社会や世間や周囲が救済していくのは必要であり、これは自力救済を原則にすることとは別問題であり、あくまでも原則は自力救済であり、神仏に帰依し縋っていく他力本願は死後の世界であり、他力救済は例外的に実行されるものでしょう。

 例えて言えば、火事の際に、燃えさかる火中にあっては、自力で脱出を試みて行かねば、自分自身の体内奥深くに眠る真の魂の力は働かないし、助かりもしないでしょう。また、安心立命を自ら心掛けて行かねば同様に自分自身に眠る仏心が働いて自然治癒力も発揮されないし、病気も回復しないでしょう。ただひたすらに神仏に帰依し他力本願では、座して焼死や病死、滅亡や衰滅、死を待つのみと言えるでしょう。自力を禁止するなど以ての外で、大いなる解釈と実践の誤りと言えるでしょう。それに他力では、真の自己の魂の救済には成りません。

 自力で頑張るからこそ、昔から「願わなくても神が助ける」と言われてきたように、神仏がその発魂に対して協力するものであり、神仏に帰依し縋ったり、願ったりするから救済されるものではありません。仮に、そうして救済されていくときには、最後にその欲望や願望を叶えてくれたことに対して、感謝の念を忘却していったり、感謝の念が弱くなったりしていった暁には、祟りと罰の嫉妬の報いが待っていることでしょう。

 昔から「触らぬ神に祟り無し」と言われてきたのは、徒(いたずら)に神に帰依し縋(すが)ってお願いしてはいけないことを、経験的に語り伝えてきたものでしょう。そうして帰依していった者は、不思議と争いや対立や混乱に巻き込まれていくものです。それが古代から現在に至るまでの、キリスト教やイスラム教やユダヤ教の対立や迫害の歴史と言えるでしょう。

 ところで、各民族には各民族固有の神がその感謝の想念に応じて存在するもので、そうした神々を否定したり排斥するものではありません。ただそうした神々に対して感謝の念を表して崇拝していけば何ら問題は無いものと思われます。真に仰ぎ詣拝する誠の神仏は宙天に鎮座される全人類共通の真の神仏であると言えるでしょう。
 

救世主経

 投稿者:ゴータマの親友  投稿日:2002年12月26日(木)01時17分13秒
  今世の仏教徒たちへ告ぐ
紀元前末期ゴータマの法を
汝らによる神によって滅ぼした
是まさに末法の世の始まり
梵天(神)は汝らを憐れんだ

梵天は新天地イスラエルにて
ひとり子を人の母体にて宿し
その息子イエスに救世を託した
なぜなら人は感情の生き物
完全なる無我すら成し得ない

梵天は仏に代わる最高の智慧は
汝らの信仰により与えられるとした
その仕事をイエスに託したのだ
イエスは神の言葉を神に代わって
福音として弟子と民衆に説いた

その福音とは過去ゴータマが説いた
悟りの法を短期に体得するに値する
自力で苦しみを悔い改めるのではなく
神に帰依して苦しみを悔い改めるのだ
神への信仰心は無我の境地に相当するのだ

今世の仏教徒たちへ告ぐ
ゴータマの法を忠実に守る者は
神に頼らず天の国へ行けるが
それが出来ない弱い心の者は
イエスの福音を聴くが良い

汝らがイエスの大慈悲を知ったのならば
妄信を捨てて父なる神に身を委ねるがよい
イエスは神の愛そのものであるが故に
汝らを憐れみ愛して止まない故に
十字架の迫害の難を受けるべく降臨した

その受難は汝らを悔い改めるため
兄弟の罪を全て背負い神の御手に委ねた
その瞬間兄弟たちの罪は消え三日目に
イエスは死者の中から復活をとげた
イエスは天と地一切の権威を持たれた

ゴータマはイエスの福音を推奨するでしょう
なぜなら人々を害すると案じその原因である
新たなる妄信をイエスは解決したからである
勿論ゴータマは聖霊の一人であるのだから
故に、汝らはイエスに帰依するがよい

父と子と聖霊との御名によって
汝らの罪は悔い改められ
汝らの心は平安を保ち
汝らの叡智は育つのである
そして汝らの永遠の自由は約束される

感謝
 

(無題)

 投稿者:アキ  投稿日:2002年12月13日(金)00時23分17秒
  また来ます。  

(無題)

 投稿者:アキ  投稿日:2002年12月13日(金)00時20分50秒
  拾い拾い読みました。頭パンクしてます。あまり、内容把握できとりませんが、疲れました。さようなら。  

↓.読破貫徹、感謝万歳、大望成就!!!

 投稿者:不動明王  投稿日:2002年10月 9日(水)21時31分38秒
   最後まで読破されたそうで恐悦至極に存知申し上げ心より感謝致しております。恐らく、このHPを読破された方は皆無であり、貴殿が最初で最後かも知れません。単なる通りすがりの方にしては、旅は道連れ世は情けで、ご多忙中のところ、暫し道草を食らってまでお付き合い下さいまして誠に心痛み申し上げる想いです。宗教に対し多少の御懸念、嫌悪感を抱かれているようですが、その方がむしろ健全と言えるでしょう。

 現在の宗教にどっぷりと染まっている者ほど、真理とは縁遠いものであり、また頑固一徹に宗教を排斥し嫌悪し否定する者ほど、救い難い迷妄の渦中にいると言えるでしょう。宗教なんて関心もないぐらいに嫌悪する方が丁度良いところにいて、案外、真理に近く早く悟れていくように思われます。即ち、両極端を排して中庸に近いと言えるからです。

 さて、吾々の最大の目標は数千年来の宗教改革にこそあります。他は単なる派生的事項に他なりません。むしろその派生的事項に便乗して、特に火山灰技術の爆発的進展に便乗して、数千年来の宗教改革を成し遂げて行こうとする想いです。今や、世界は単なる民族紛争を越えて宗教戦争に至って来ており、世界三大宗教の歴史的総決算に入ろうとしております。歴史の展開スピードが従来の100倍にも達してきた背景を踏まえて、100年以上も後ぐらいかと想定していた宗教改革を、今や全世界に向けて、身命を賭して正しい宗教観念を提示していくものです。

 多くの日本人は、外国で、「貴方は何の宗教ですか?」と問われて、平気で「無宗教です。」と答えて、「何だ、お前は無神論者の共産主義者か」と言われて世界から物笑いになっているようです。それほど、日本人社会では、宗教というと、胡散臭い感じで見られますが、世界では社会の規範として生活の中に染み込んでおります。逆に言えば、日本社会は、無宗教であるか無関心である故に、社会の価値観が崩壊し始めていると言って良いでしょう。即ち、心の拠り所、規範が崩壊しかけており、全く、無秩序状態に陥ろうとしているようです。

 恐らく、当方のHPの宗教に関する事項も、大方の日本人には何も感じることもなく、無視され排斥されていくことでしょう。当方の真のターゲットはバチカンの奥の院に巣くう古代からの魔術を駆使する霊能力者共です。日本人のちゃらんぽらん宗教観、現世御利益信仰、無節操・無定見・無関心・無信心の宗教観には、当方からは心底から訴えるほどの関心も情熱も意欲もありません。敢えてHPに掲載するのは、10年先頃の布石のためでしかありません。勝負を仕掛け挑発し気付いて欲しい相手は、大真面目で悪魔崇拝を実践している闇の世界支配権力であります。むしろ、日本人には、その後の数千年来の宗教改革に向けて、その何でも有りのちゃらんぽらんの柔軟性の宗教観に期待するものです。

 なお、当HPは、内容に関しては、奇想、妄想、空想、暴論、想像、創造、瞑想、卓見、悟覚などの如何なる印象乃至感覚で受け止められようと自由勝手であります。参考にすべきものは殆どありませんし、仮に提示したとしても、そちらの方に主要な関心が移っていき、脇道に逸れる懸念を感じております。多くの人々は肩書きで判断し社会的地位で選別し権威で思考していくからです。従って、故意に売名や金儲けとは無縁のところで各種見解を提示し主張し行動しているものです。

 また掲示板の荒らし、宣伝、中傷にもそれほど神経質に抹消することは考えておりません。枯れ木も瓦礫も山の賑わいであり、何もない殺風景な原っぱでは、ゴミもクソもドロも貴重なアクセサリーであり、風物であり、置物であります。量的にいっぱい増えてきてから判断しても遅くはありません。そして掲示板の数も各章毎に次第に議論展開が増えていくように思われますので、暫く放置するつもりです。むしろ当HPをご訪問される方々が、テーマ毎に自由に議論や討論を展開してご愛顧して行って下さることを期待したいものです。

 掲示板は一つに纏めれば閲覧は楽でしょうが、直ぐ投稿が満杯になり、また対話内容が拡散して行き易いでしょう。要するに閲覧よりも投稿や対話を優先しました。もっとも、現在でも、当方が期待するカテゴリーに投稿されないのは残念でありますが、別に些細なことです。投稿して下さるだけでも様々な感触が解って、大変有りがたく感謝しております。お陰で新しい国家社会の建設に向けての効果的な戦略、戦術が得られて来るように思います。
 

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