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[悪想念の断絶」や「悪想念の消去」をやたらと強調し、「真仰」を説く人がいるが、それは本末転倒の大間違いである。「真仰」の目的はあくまで「御魂磨き」にあるのであって、「悪想念の消去」はそのささやかな結果である。そんな心構えでは、「真仰」が「悪想念の消去」を心理的報酬とした「御利益宗教」の道具に堕落してしまうことは必然であり、そんなものは、魔と直結した「魔仰」とよぶのがふさわしいといえるだろう。「ごみひろい」を「真仰」のたとえに使うのも、意識を間違った方向に誘導する危険なたとえである。真に重要な問題はごみにあるのではなく、ごみを発生させる真因の方である。ごみや悪想念にこだわれば、それを好物としている魔と直結するのはあたりまえの話である。「悪想念の消去」をしようとすればするほどかえって悪魔力が強まるのはそのためである。もっともらしいことことを言うようで、こんなことさえ理解に苦しむ人は「真仰」の本質がまるでつかめていないのである。その証拠に、こういう人の文章は、説明のための必要以上に悪魔の喜ぶ否定的な言葉や「言霊」に満ちあふれていて、得意気に説法をする本人は全くそのことに鈍感なのである。こういう人が、「真仰」にうちこむには、無欲を装った「火山○技術の売り込み」を乖離させるのが一番よいのだが、凡人が「真仰」にめざめるよりさらに難しい気がするといえば皮肉になるであろうか。再び妄言多謝。
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