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なお老婆心ながら付け加えれば、悪魔は想念に感応するものであります。単なる言葉ではありません。魔が付着し感応するのは、発する言葉に込められた想念であり、単なる文字としての言葉ではありません。それも毛筆ならば多少は波動想念が残留して関係するでしょうが、活字の文字では何も想念もない単なる形・抜け殻でしょう。「言霊」も実に波動想念であります。書いた文字ではありません。但し、最高に悟覚された方が直接書かれた文字にはそのまま波動想念が宿ることになるでしょう。
ところでこれ以上今更、偏屈で頑固な本性を露骨に現した輩に講釈を垂れても詮方ありませんが、ここから以下は、ここを読まれる周囲の善意で好意的な方に、この場を借りてご指摘致します。実にこの魔とは畜生死霊魂であり、人間の想念波動に誘き寄せられてその心魂に付着して行くものであります。人霊が苦怨の余り畜生死霊魂の餌食なった場合は、社会的にも性魔となって悪の限りを働くようになろうかと思います。
現在の未成年者の残虐な事件は殆どがこうした魔の氾濫、跋扈、憑依、付着であると言えるでしょう。人霊それ自体では大して悪は働かないように思います。この魔にも悪魔と善魔があり、人の心の善悪に応じて瞬時に変化して行くように思います。こうした不浄な波動を浄化・滅失するにも「真仰」の実践が必須と言えるでしょう。「真仰」とは単なる儀式や形式、空念仏、御利益信仰の類ではありません。
またよく宗教界で強調するように、六根清浄にすれば「罪障消滅」や「因縁消滅」に至るなどと言うことは有り得ないように思います。心が善悪に揺れ動いて変化して行く以上、何時でも付着し招来し浮上してきます。心の善良如何で、単に傍らに追いやり隠蔽するものでしか無く、「罪障」や「因縁」を完全に消滅させることはあり得ません。何度でも引き寄せられて表面化してくることでしょう。恰も電波や波動を抹殺できないのと同じで、想念波動の世界だからでしょう。
結局、邪悪で猜疑な波長とは同調しないことでしょう。邪悪魔に同調すれば感染し汚染し洗脳されて、自らも巻き込まれていくだけでしょう。邪悪な想念の言霊の毒には、飲まず、喰わず、嗅がずに吐き出していくことでしょう。これは邪悪からの逃避、逃亡ではなく回避,避難に他なりません。逃れるのでなく、避けるのです。ここにも心の在り方が大きく関係してくると言えるでしょう。
心は一念三千世界と言うように、想念の世界は四方八方に言霊となって発信されていきます。精々が清浄で神聖な波動を発信していきたいものです。「真仰」も一朝一夕に達成実現できるという甘いものではありません。充分な鍛錬・修練・訓練が必至であるのは当然でしょう。最初から実践の困難さや効果を猜疑、懐疑、嫌疑で判断すること自体が、実に打算、狡猾、我欲の世界に浸っているのです。
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